ABOUT

 名称   東京日暮里繊維卸協同組合

 
所在地 〒116‐0014 
       東京都荒川区東日暮里5丁目33番10号

 理事長 浜浦 章雄

 組合員 61 名

-理事長挨拶-

日暮里繊維街は東日暮里3丁目から6丁目までの四町会にまたがり、日暮里中央通り(バス通り)を中心に両側約1キロにわたり生地織物の店が軒を連ねる繊維の街、これがいわゆる「日暮里繊維街」です。繊維街には和装、洋装、紳士婦人服地、繊維製品から服飾関連の小物から付属品に至るまで生地織物に関する全てのものを取り揃えた品揃え豊富で便利な街です。

一定地域に80軒以上の生地を扱う店が集う繊維問屋街は全国広しといえども日暮里繊維街をおいて他に無いと自負しております。

  東京日暮里繊維卸協同組合 

理事長    浜 浦  章 雄 

 

-日暮里繊維街のあゆみ-

 

 

 

主な事柄が下の年表に書いてあります。

 



初期
浅草方面で古繊維、栽落業者が営業していたが、 当地が市街化したので、当時まだ閑散としていた日暮里、三河島周辺に集団移動し、 以後日暮里地区に繊維業者が 集まるようになった。

「黎明期」
大正初期、浅草方面で営業していた古繊維、栽落業者が、当時まだ閑散としていた日暮里、 三河島周辺に集団移動した、以後日暮里地区として繊維業者が集まる様になった. 大正12年の震災、昭和13年の日暮里大火を経て日暮里地区は区画整理が進み、道路も整備され、 三日小周辺に20店舗程の店売り業者が営業を始めておりました。 一方神田(岩本町)、浅草(寿町)には和歌山の染工所や大阪の紡績会社、 日本橋掘留の大問屋等から出る2等品(B・C反)、見切り品等を扱うハギレ問屋が多く、 日暮里地区の業者は、こうした問屋からハギレ、裁落、2等品(B・C反)或いは 縫製工場から出る余剰反等を仕入れ販売をしていた。

12年
震災

 

 

昭 





12年
日中戦争

13年
日暮里大火

14年
日暮里地区の区画整理の後、第三日暮里小学
校周辺に20店舗程営業開始

16年
太平洋戦争の開戦
統制経済(配給制)になる。
営業停止期間

20年
太平洋戦争の終戦と同時にハギレ類の統制解除
「統制期」
昭和12年の日中戦争、16 年太平洋戦争による物資不足 により統制経済(配給制)に入り20 年の終戦まで営業を停止せざるを得なかった。
21年
日暮里地区で繊維業者がハギレ類の営業を再開
「戦後」
終戦と同時にハギレ類は統制を解除され、地元或いは裁落から転向した業者等が日暮里地区で営業を再開、 軍の隠退蔵物資、進駐軍の払い下げ品、アメリカ古衣料、羅紗裏地、ハギレ等を販売、 以後順調に拡大発展し現在の基盤を築いた。
23年
東京フェンツ商業協同組合設立 (任意団体)
任意団体として「東京フェンツ協同組合」を結成
26年
東京フェンツ商業協同組合を公認団体として
正式登録
「東京フェンツ協同組合」を正式名称として公認申請し、
公認団体として登記される。
31年
荒川羅紗裏地卸商睦会設立(任意団体)
任意団体「荒川羅紗裏地卸商睦会」結成
44年
二団体が合併し東京日暮里繊維卸協同組合を設立
合併準備委員
(フェンツ側)
魚谷、安田、佐藤、井出、野崎、大場、岩瀬
(羅紗側)
山与、関、和幸、布橋、田中、川原、本間、志目

44/11/20
東京日暮里繊維卸協同組合、定款変更

44/12/6
東京日暮里繊維卸協同組合、名義変更
(都庁により認可)

44/12/19
東京日暮里繊維卸協同組合、登記簿に登録完了

2 団体が合併「東京日暮里繊維卸協同組合」結成 定款変更S44 .11 .20 ,名義変更S44.12.6日付で都庁より許可
S44.12.19日付で登記簿に登記される。
合併準備委員
フェンツ側:魚谷、安田、佐藤、井出、野崎、大場、岩瀬
羅紗側 :山与、関、和幸、布橋、田中、川原、本間、志目
東京日暮里繊維卸協同組合創立総会、
1月18 日 於熱 海赤尾ホテル

45/01/08
東京日暮里繊維卸協同組合創立総会
(熱海赤尾ホテルにて)
総会にて会館建設案出る。
組合員に会館建設資金の積立を通知

46年
会館建設用地購入資金積立開始

49年
会館建設用地58坪購入(駐車場として貸し出す)
「組合会館建設案」 S45.1.18日の創立総会において会館建設の案が出され、S49年:用地購入、 58坪、駐車場として営業S56:三日小改築にともない区の要請を受け売却した。
51/04/08
青年部結成 部員76名
野球、ギター、民謡、将棋、ボーリングの5クラブ誕生
「青年部結成」
S51、4、8 青年部が結成された。部員76、野球、ギター、民謡、将棋、ボーリングの5つのクラブが出来、 活発に活動するも野球部を除き廃部。しかし青年部活動は年々部員減少の中、 宣伝活動、リクレーション、ファッション関連業務等に若い力を大いに発揮し組合活動に貢献している
(青年部中心) 組合新聞「あおぞら」 一号発刊 「組合新聞(あおぞら)」
S52年第一号発刊、以後5年間組合文化活動の一翼を担い、組合員相互の情報交換、研修、教養の場として 貴重な紙面を提供しつつも第5号をもって廃刊。
52/05/29
第一回運動会開催(第三日暮里小学校にて

53/01/15
総会

53/5/10
第二回運動会開催

54/05/01
第三回運動会開催

55/01/15
総会

56年
第三日暮里小学校改築による区の要請により
会館建設用地売却
組合新聞「あおぞら」廃刊

59/01/15総会

59/11/16
カラオケ大会(三和信用金庫会議室)

59/01/15
総会

 

「運動会」
S52.5.29 青年部が中心になり第一回の運動会が三日小校庭で開催、繊維組合の特徴を生かした目方当て競争や、 お尻で風船を割るケツ圧測定ゲームなど大いに人気を呼び以後3年間開催された。

「健康診断、レクリェーション」
毎年生協病院(狭田診療所)より医師、職員等を派遣していただき組合員の健康管理にあたる。 又組合員、家族、従業員に対し慰労と心身のリフレッシュを兼ねた楽しい企画を立て実施している。

 







01/02/09
第一回ファッションショー開催
(服の日)として日暮里駅前のホテル ラングウッドの荒川区の文化施設である日暮里サニーホールのオープンセレモニーとしてACCや東京都専修学校各種学校協会との連携により運営

02/02/09
第二回ファッションショー開催

03/02/09
第三回ファッションショー開催

04/01/15
総会

04/02/09
第四回ファッションショー開催

05/02/09
第五回ファッションショー開催

06/02/09
第六回ファッションショー開催

07/02/09
第七回ファッションショー開催

08/02/09
第八回ファッションショー開催

09/02/09
第九回ファッションショー開催

10/01/15
総会

10/02/09
第十回ファッションショー開催

10/11/22~23
日暮里繊維街単独による、第一回ニポコレデザインコンテストが有明の東京ビックサイトで開催される

11/04/06
第十一回ファッションショー開催

11/11/13~14
第二回ニポコレデザインコンテスト開催

「ファッションギザリング」
平成元年2月に日暮里駅前にホテルラングウッド内に、荒川区文化施設「多目的ホール」がオープン。 そのオープンセレモニーとして2月9日(服の日)に第一回のファッションショーが開催された。 ファッションギザリングは東京都専修学校各種学校協会加盟の服飾学校の生徒達による作品発表の場として、 ファッションショーをを日暮里において開催することにより、日暮里繊維街のイメージアップと顧客の新規開拓、 さらに日暮里地域の活性化を図る目的で、以後毎年開催されている。

主催 :荒川区 東京日暮里繊維卸協同組合 東京都専修学校各種学校協会(服飾分野)
東京商工会議所荒川支部(財)荒川区地域振興公社
共催:東京都
協力:国際理容美容専門学校 資生堂
協賛:荒川信用金庫 日興信用金庫
巣鴨信用金庫 ホテルラングウッド





宣伝事業
組合結成以来、ダイレクトメール、ラジオ放送、ポスター、ファッション雑誌への広告掲載等、 その都度有効と思われる可能な限りの媒体を駆使し、組合の存在、その内容について広く一般に宣伝し、 又年4回の売り出しを行い、良い品をより安くお客様に提供し顧客へのサービスを行っている。

日暮里繊維街のマスコットキャラクターの"にっぽりん" です。
色々なイベントで繊維街のPRをしています。

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日暮里駅 クリスマスツリー点灯式
2016/12/4

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(待機中の"にっぽりん"です)

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奥山佳恵さんと2ショット

 


2017/1/23
福岡女子高校の生徒さんと

 

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